ジャズと文庫本―安居(あんご)の如くに酒を造る―/新良成生さん (新良酒造 蔵元・杜氏 )

大和や熊野から伊勢へと続く旧街道が、山並みを越えて松阪の城下に入ろうとする辺り。軒先に小さな杉玉を吊した新良酒造(株)がある。店から奥へ長く続く、煙突のある醸造場や蔵は、昔ながらの〝酒蔵〟のイメージそのままだ。

清らかにまろやかな〝水〟

「創業は明治元年(1868)頃といわれています。でも、詳しいことは分かりません」

と語るのは、主の新良成生さん。

新良家の井戸には、清らかでまろやかな水が、昔と変わることなく湧きだしている。

「この水は、鈴鹿山脈から続く布引山系の伏流水なんです。この水があったから、先祖はここに酒蔵を建てたのだと思います」

酒造りに良水は不可欠だ。水のうまさは酒のうまさに直結する。新良さんが何気なく淹れてくれたコーヒーさえ、他では味わえない美味だ。

「今汲んでいるのは、おそらく20年か30年前に天から降った水でしょう。それが山々に染みこんで、やがて深い地の中を流れてここに湧きだしている。本当に良い水ですよ。水は命だと、つくづく感じますね」

 インドの風に吹かれて

新良さんは昭和27年(1952)松阪に生まれた。上京して明治大学に入った頃、大学は学生運動の嵐の中だった。

「〝ベ平連〟などの活動が活発な時代で、当然のように参加しました。だけど、学生運動は無力感が残ったし、卒業後も何かしら閉塞感がありました。そんなとき、先輩の一人が台湾に行くことになり、僕も一緒に行った。窓が開いたようでした」

そして、ふと「エベレストでも見よう」と思い立ちネパールに向かう途中、インドで気持ちが一変した。食べ物も、騒々しさも、人の動きも、女性たちがまとうサリーの色鮮やかさまで、何もかもが面白かったという。

「インドにいればいたで、イライラするんですよ。だけどインドから出ると無性にまた行きたくなって、20代半ば頃から30代まで、何度も訪れました」

インドの熱い風に吹かれるうちに、新良さんの中でなにかが壊れ、なにかが生まれた。

「外の宇宙に対して体内にも宇宙があると捉える世界観とか、破壊と創造を同じ神が司る宗教とか、強烈なカーストの中で生きる人生とか…そういうものに触れているうちに、だんだんと、人と競べることにたいした意味はないと、気持ちが変わっていった――ということでしょうか」

 蔵元と杜氏の二刀流

酒蔵を継いだとき、自分の手で酒造りをはじめた。

「僕で、4代目にあたるのかな。でも、気持ちは初代です。父までは純然たる蔵元で、酒造りはしなかった。だけど、僕は経営だけじゃなくて、自分で造りたかった。この水で〝自分好み〟の酒を造ろうと思ったんです」

蔵元と杜氏を兼務するのは、三重県では新良さんが最初だ。

「最初の2年ほどは、毎年来てもらっていた麹屋さんについて修行しました。その後、自分の造りたい酒を追求した」

日本酒を飲む人が大きく減っていった時代、業界全体が構造不況の中にあった。

「今も日本酒の蔵元は経営が大変なところが多いと思います。うちも状態は悪かった。でも、たくさん造っているところと量を競べたり、売り上げの多い会社と金額を競っても何にもならない。だから業界の慣習を破って、自分のやるべき事をやろうと思ったんです」

 米も自分も変わってゆく

「僕が目指すのは、米を最大限に活かした酒。それが〝自分好みの酒〟です。だから純米酒にこだわりました」

米は富山の契約農家がつくる有機栽培の五百万石。米を研ぎすぎず(精米度合は約65%)その旨味を追求している。

「代々使ってきた『千代の松』から『夢窓』に名前も変えました。南北朝時代の僧・夢窓疎石は伊勢の国の人で、その思想や作庭が好きなので、それに因んだ名にしたんです」

毎年冬になると、米と水に対峙して酒をつくる。

「酒は、毎年同じように醸しても、同じにはならないんです。その年の季候によって米も違うし、気温も違うし、自分だって変わっている。じっくり様子を見ながら、最善を尽くすわけです」

 〝ふなくち〟から〝セメ〟まで

酒のその時々の良さを大事にするのも新良流。

「酒は、醸して、絞りはじめの〝ふなくち〟〝あらばしり〟と呼ばれるものから、〝中ダレ〟を経て、絞りきる時の〝セメ〟の複雑な味わいまで、どんどん変わっていくんですよ。多くの酒蔵では、それを均一化して品質管理をするのですが、僕はできるだけ、その時々の旨さを大事にしたいと思っています」

〝ふなくち〟のガスを含んだようなフルーティーさと〝セメ〟のこくのある味わいは、同じ樽から絞った酒とは思えないほど違う。

「日本酒の専門家の評価基準には合わなくても、それぞれがうまいと感じるものを楽しめばいいと思うんです」

時の流れにゆだねた酒

酒は、時を経て、また多様な変化を見せる。新良酒造にはたくさんの古酒が蔵されている。日本でもめずらしい熟成日本酒は海外での評価も高い。この古酒、思い通りに造ろうとして造れるものではない。

「経年による変化を、僕自身が見たかったんです。歳月を経て、こういう結果が得られるとは思っていませんでした」

小瓶に入れたサンプルは、淡い黄色から濃い褐色までさまざまな色をしている。味も、もちろん違う。

「同じように仕込んでも、年によって、色の濃さも味わいも異なるんです。古くなるほど濃いというものでもなく、貯蔵の仕方でも違ってきます」

たとえば昭和63年(1988)、昭和天皇のご病状悪化と冷夏に日本列島が沈黙したこの年に仕込まれた酒は、30年の眠りから醒め、光のもとに汲み出されると、金色にかがやく酒となっていた。なめらかにひろがる香りと味わいは芳醇そのもの。そして爽やかさも――。

「これは、きれいな色と味になりました。多くの人に好まれるでしょう。しかし、別な年の濃厚なものが旨いという人もあれば、もっと淡いものが好きという人もあり、好みは分かれます。それぞれの良さを楽しんでほしいからブレンドはしていません」

時の流れにゆだねた酒は、奇蹟のように、それぞれが魅力的な個性を持った古酒となった。

安居(あんご)の如く

内外での受賞経験も多い新良さんだが、今はあまり興味を持っていない。

「仏教用語の〝安居〟ってあるでしょう。雨期、静かに修行して過ごすことですが、そんな気持ちです。一人も良いし、たまに仲間が集まるのもいい」

仕込みの時期には学生時代からの友人たちが来て手伝ってくれる。壁や天井に木のスピーカーを仕込み、居室はジャズ、蔵にはクラシックが低く流れる。音楽の中で造った酒は、蔵で長い夢を見る。この蔵で、集まったり孤独になったりを繰り返しつつ、主は文庫本を片手に、安居の如く酒を造り、暮らしている。