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医師田島 和雄さん

会えば気持ちが軽やかになる、
田島先生は不思議な〝お医者さん〟です。

いつもあたたかな笑顔で私たちの相談に乗ってくださり、的確なアドバイスをくださる医師の田島和雄さん。
がんや疫学研究の権威でありながら、自作の石窯でピザを焼いたり、山道を駆け巡ったり、医学の講演や学生講義で詩吟を披露したり…… 気さくで明るく破天荒、会えば気持ちが軽やかになる、田島先生は不思議な〝お医者さん〟です。

田島 和雄さん
1947年 広島生まれ
1972年 大阪大学医学部卒業 浜松市の聖隷三方原病院外科に勤務
1977年 愛知県がんセンター中央病院臨床病理部レジデントを経て同センター研究所疫学・予防部 研究員
1986年 米国 ジョン・ホプキンス大学公衆衛生学部修士課程修了
帰国後、愛知県がんセンター研究所疫学・予防部長、同研究所長などを歴任
2013年 退職し三重県へ 三重大学病院長顧問、客員教授、洗心福祉会理事などに就任
2016年 洗心福祉会美杉クリニック院長に就任
愛知県がんセンター名誉研究所長 中国第三軍医大学、四川大学華西公共衛生院名誉教授、日本癌学会、他各関連学会名誉会員など
――子どもの頃は、どんなお子さんでしたか?
今からは想像ができないと思いますが、体が弱かったんですよ。かかりつけのお医者さんに「長生きできない」なんて言われました。でも高校生になるとサッカー同好会に入って活動できるほど健康になりました。その経験から医師になろうと思ったんです。
――それで大阪大学医学部へ進学されたんですね。
大学紛争の激しかった時代で、研究室に籠るよりも外へ出ようと考え、「東南アジア医学研究会」に入り、沖縄の離島やボルネオなどの僻地で生活調査をするなど飛び回っていましたよ。
卒業後は浜松の病院で医師としての研鑽を積みました。夜中に呼び出されて緊急手術や麻酔を担当し、痛みのコントロールに興味を持って週末に針麻酔を学びに東京に行くなど、忙しかったですね。病理診断学をもう少し勉強したいと思っていたとき、愛知県がんセンターのレジテント制度を知って病理診断学コースに応募したのです。そこで、当時研究所の疫学部長をされていた富永祐民先生から疫学部の研究員に誘ってもらいました。
そして、研究の主軸となるテーマとも出会いました。
――どのような研究ですか?
第一に、「成人T細胞白血病(ATL)の要因探索」に関する民族疫学研究です。原因ウイルス(HTLV-1)が発見されてからは感染経路と流行予防方法を明解にするため、国内では五島列島や対馬などの離島、次に東南アジアや中国大陸、チベット高原、さらに中南米諸国、特にカリブ海、アンデス髙地、アマゾン熱帯雨林、パタゴニア、そして北欧を含む北極圏などに居住する少数民族の血液を研究しました。さらにアンデス高地のミイラのウイルス遺伝子の探索に成功して多くの研究成果を得ました。このとき世界中の先住民族から採集した血液は、共同研究者だった園田俊郎博士と私の名前の「園田・田島コレクション」として理化学研究所バイオリソースセンターに保管されています。ATLの研究が別の価値ある研究の役に立つのですから嬉しいことです。

第二に、「生活習慣病としてのがんの要因探索」で、日常の生活習慣の是正によりがんを予防するための情報構築のための病院疫学研究です。これは、25年に亘って大規模な病院調査を重ね、13万人分のデータベースを残すことができ、研究成果のみならず若手疫学研究者の育成にも努力しました。同時に国際的な疫学協働研究や学術会議の組織作りにも貢献してきました。

パラグアイ中部、チャコ族の大家族パラグアイ中部、チャコ族の大家族チリ北部第II州、サンペドロ・アタカマの考古博物館において 約1,500年前のミイラから骨髄採取する田島、園田、浜島らチリ北部第II州、サンペドロ・アタカマの考古博物館において 約1,500年前のミイラから骨髄採取する田島、園田、浜島ら
美杉クリニック玄関で地元の皆さんと
――美杉クリニックにいらしたのはどういういきさつからですか
広島の里山で生まれ育ったこともあって、比較的若い頃から、地域の健康づくりと医療を実践したいと考えていたのです。愛知県がんセンターの退職を機に、研究は若い人に任せ、亡くなった母が望んでいたような田舎の〝医者〟になろうと――。ちょうど、三重大学の病院長顧問だったこともあり、新設される洗心福祉会の美杉クリニックを引き受けることになったんです。「グローバルな健康づくりはローカルから」と〝グローカル〟を掲げて、病気を治すだけではなく、健康づくりや予防活動にも力を入れています。高齢者が自立した生活をおくることが地域作りの基盤を支えますからね。
――松阪の山間の町に古民家を持たれ、田舎暮らしを楽しんでおられますね
特に田舎暮らしをしたいという希望があったわけではないのですが、縁があって築150年の古民家(和洲庵)を買ったんです。はじめは本の保管場所にするくらいしか考えていなかったのですが、時折プロに教えてもらいながら大工や建具の仕事をしたり、庭造りをしたり、思いがけず色々なことができて、楽しいですよ。

愛知県がんセンターを退職するとき、記念品として希望していた工具一式を頂いたのです。研究者がそんな物を希望するのは前代未聞だと云われましたが、チェーンソーや草刈り機、電気ノコやインパクトなど、田舎暮らしに要る物が揃っていて、大変重宝しています。
大工仕事の他にも、ドーム型のイタリアンピザ窯や数寄屋風の門柱などを自作し、前居住者が残していた手織り機で松阪木綿を織ったりしています。クリニックの近くにある、詩吟の伴奏をして下さる琴の師匠の旧宅(雅楽之亭)も引き受けてリノベーションしました。
今は、週の内、家内の居る名古屋の自宅で週末の二日を過ごし、美杉の雅楽之亭で二日、松阪の和洲庵で三日というローテーションです。
手作りの石窯
――田島先生といえば、詩吟とジョギングのイメージもあります
松阪の家から美杉のクリニックまで山道(片道8キロ)を走歩して通勤しています。鳥のさえずる緑の山中を通るのは気持ちいいですよ。詩吟も楽しみの一つで、大きな声を出せて爽快です。15年ほど前にふとしたことから始めたのですが、今は、講演や講義の合間、何かの会があったときなどに披露しています。富士山の頂上やアンデス高地、太平洋の上でも吟じましたよ。
――これからの展望は?何か新たに始める予定はありますか?
そろそろ大工仕事は一段落したので本来の仕事にかかろうと思っています。新型コロナウィルスが世界中に異変をもたらした現在、ライフワークについてまとめておきたいことなどいろいろありますので、執筆に力を注ぎたいですね。それと、学生結婚をした家内と今年(2022年)は金婚式を迎えますので、何か記念に残したいと考えています。
――(株)ネーブル・ジャパンの新たな企画にもかかわってくださってますね。
岩宮陽子さんの開発された「超越光触媒」がウィルス除去に使えるのではないかということでご相談があり、久しぶりに感銘を受けながらお話を聞きました。ウィルス防御対策としては、エアコンのフィルターなどに使用すれば大きな効果が得られるでしょうし、紙のガラス化による脱プラスティックという方向でも、これからの時代が必要とする将来性のある研究です。彼女は、大学の研究機関のような恵まれた研究室を使える境遇になくて、それを乗り越えて画期的な研究をされてきた素晴らしい方です。
――充実した人生を送られ、いつも楽しげに見えますが、何かコツでも?
僕は我が儘で楽観的な性格なんですよ。好きなことをやり、嫌なことでも楽しむのが知恵だと思っています。振り返って見ると、〝好奇心と幸運な出会い〟が人生を拓いてくれました。多くの師や研究仲間との出会い、興味深い研究テーマとの出会い、妻との出会いもふくめて、人生の大事な出会いを拓いてくれたのは常に好奇心が背景にありました。三重県に来てからも、ユニークな面白い人たちと出会って、愉快に過ごしています。いくつになっても好奇心を持ち続けたいですね。
友人の元横綱・貴乃花関と