COLUMN

2,〝お肉〟召しませ
― すき焼き?しゃぶしゃぶ?ホルモン焼き? ―

霜月も半ばを過ぎれば、暦は立冬から小雪へと移り、松阪の町にも冬の気配が漂いはじめます。生垣のある路地には山茶花が咲きこぼれ、空気が澄んで、冬木立のとがった枝先までよく見えるように感じます。まだ厳しいと言うほどではないけれど、挨拶がわりに「寒なったなぁ」というような言葉が交わされる…… そんなころには、身も心もあたたまる肉料理がお勧めです。
松阪といえば牛肉が有名ですが、最近は「松阪豚」がブランド化され、甘辛い味噌だれの「鷄焼き肉」も人気を博すなど、牛肉に限らず、松阪は肉のおいしいまちなのです。

毎年、11月最後の日曜には、「松阪牛まつり」が開かれ、松阪に冬を呼ぶ風物詩となっています。昨年と一昨年は行われませんでしたが、今年は開催されるようです。毎年、その年の松阪牛の女王を選ぶ「共進会」や「競り市」のようすがテレビニュース等に流れ、一等の金額が話題となりますが、すき焼き試食会や、焼き肉コーナー、生産地域の特産品販売など、一般の人たちにも楽しい企画が用意されています。


松阪牛は、子牛のころから大事に育てられます。

松阪牛はお嬢様

今では世界的なブランドとなった「松阪牛」。読み方は「まつさかうし」でも「まつさかぎゅう」でもいいそうですが、これには定義があり、「黒毛和種で未経産の雌牛である」「松阪牛個体管理システムに登録されている」「旧22市町村から成る松阪牛生産区域で肥育された期間が最長で最終である」「生後12ヶ月までにこの生産区域に来て、その後外の地域で肥育されていない」という条件をすべて満たした牛だけが「松阪牛」と呼べるのです。

「松阪牛」がなぜ美味なのかというと、この地方の気候が牛の肥育に合うことや、他の和牛の産地では去勢した雄牛の割合が高いのに対し、「松阪牛」はすべて若い雌牛であることなど、さまざまな理由が挙げられます。でも、育てている農家それぞれが、手を掛け、工夫を重ねていることに何よりの秘訣があると思います。以前、共進会が終った夕方、肥育農家のおじいさんが牛を撫でながら、小さな声で「長いこと立っとって、えらかったなぁ(〝疲れたね〟の松阪弁)」と語りかけているのを見かけました。職業としての肥育とはいえ、一頭ずつに愛情が注がれています。「松阪牛」はみんな、大事に育てられたお嬢様牛なのです。

共進会ではその年の女王牛が選ばれます。

肉食は古代から

日本人は、明治維新まで肉を食べていなかったようなイメージがありますが、古代の日本人は肉食をしていたようです。狩猟採集の時代は猪や鹿などを獲って食べたでしょうし、農耕をするようになってからは農耕用の牛なども食べたでしょう。『日本書紀』巻三の神武天皇の条には、宇陀の長が牛肉や酒を準備して天皇の軍をもてなすようすがあります。
その後、仏教が伝来し、平安時代には肉食を禁止するおふれが出されるなどして、日本の人々は肉食から離れてゆくのですが、室町時代には一部復活します。キリスト教の宣教師たちが肉食を持ち込んだことなどがきっかけとなり、戦国時代には、切支丹大名の高山右近が蒲生氏郷らに牛肉料理を振る舞ったという記録もあるようです。
江戸時代には、鎖国や切支丹の禁止や仏教の公教化などにより、肉食は表向きは行われなくなりますが、「薬喰」などの名目でこっそり食べられていたようで、徳川吉宗や水戸光圀らも食したとか――。
そして、明治維新。文明開化とともに肉食も一気にポピュラーになり、牛鍋屋が各地にできました。幕末から明治にかけて活躍した射和の豪商・竹川竹斎はいち早く肉食を試みたようで、「妙な物を食べさせられてはかなわない」と竹斎を訪ねるのを避けた人がいたという笑い話が残っています。

「松阪牛」登場

明治の初め、松坂の牛が登場します。といっても、松坂だけではなくこの近辺で集めた牛ですが、度会郡有田村(現玉城町)の山路徳三郎を隊長として、東京まで肉牛を届ける、牛追いの一行が出発したのです。20日ほどかけて、百数十頭の牛を引き連れて歩く隊列は、200メートルにも及んだといいます。この牛追いは、明治5年(1873)から30年ごろまで定期的に続きました。これによって、この地域の牛が良質だということが全国的に印象付けられ、また地元に肥育農家や家畜商が増えたといいます。
時を同じくして、東京で修業した松田金兵衛が、明治11年、松阪に「和田金」を開業しました。金兵衛は、それまでぶつ切りだったすき焼きの牛肉を薄く切るなどの工夫で美味に磨きを掛け、また、高値で牛を買い取って話題づくりをするなど、ブランディングの才覚を活かして成功します。昭和2年、「和田金」は東京に支店を出し、経済界の名士らに「松阪牛」を広めました。一方、地元では肥育方法などの研究が重ねられ、昭和10年に東京で開かれた「全国肉用牛畜産博覧会」で最高賞を獲得したことが、「松阪牛」の名を全国に広める決定打となったということです。
第二次世界大戦中も、細々ながら松阪牛の生産は続けられました。戦後は高級肉として定着。共進会後の競り市では高値が続き、今でも毎年「日本一高い牛」として注目され、押すに押されぬブランド牛となっています。

まちには木枯らしがふきはじめます。
松阪でおいしいお肉を召し上がれ。どんな肉料理がお好きですか? しゃぶしゃぶ? すき焼き? それとも、ホルモン焼き?


すき焼きは、まず肉だけを焼いて、砂糖と醤油で味付けするのが松阪流。

写真提供:松阪観光協会

松阪牛まつりのチラシはこちら

ぷらっと松阪 不足案内2022.11.15

プロフィール

堀口 裕世

編集者 三重県の文化誌「伊勢人」編集部を経てフリーランスに
平成24年より神宮司庁の広報誌「瑞垣」等の編集に関わる
令和4年発行『伊勢の国魂を求めて旅した人々』(岡野弘彦著 人間社)他 編集