COLUMN

4,ぼたん雪と母の力

積雪の長谷川治郎兵衛家 松阪を代表する豪商のひとつ

あらたしき年の初めの初春はつはるの今日降る雪のいや吉事よごと

― 大伴家持 ―

『万葉集』の終尾を飾る一首です。旧暦のお正月、春の兆しが待たれるころ、ほどろほどろに雪が降る。この白雪のように、良い事がたくさん重なるといい、と願う。冷たい雪に降り込められつつも希望を抱く心で、『万葉集』は閉じられています。
写真のように、松阪のまちに雪が積もることは稀ですが、立春も過ぎたのに―― というようなころ、雪が舞うことは毎年のようにあります。そんな時季の雪は、溶けかけてつながったぼたん雪。地面に落ちればじきに消えます。消える雪を見ながら、ふと母を懐かしむ思いがよぎることがあります。幼い日の遊び疲れた寒い夕方、母に抱かれたぬくもりが、どこかに残っているのでしょう。

豪商のまち

江戸時代の松坂は、たくさんの豪商が暮らしたまちでした。
城下には三井家、長谷川家、小津家…と、蔵に万両箱を積む家々が並び、櫛田川沿いの射和や中万には、更に古くから栄えた富山家、国分家、竹川家、竹口家…が軒を連ねていました。「カチっと松坂」で吉田さんが描かれているように、富が教養や美意識や精神的な余裕を育て、人も物も情報も、面白いものが集まった魅力的なまちだったのでしょう。
ぼたん雪が舞う日には、豪商の家でも、格子越しに堀坂山を見上げて「おお寒。今日は山が白いなぁ」などと言いながら、火鉢の炭を継いだりしたのかもしれません。

偉人たちの強い母

豪商の筆頭に挙げられる三井高利(1622-1694)、豪商の家に生まれながら学問に生涯を賭した本居宣長(1730-1801)、豪商でありつつ社会福祉や国防にも力を注いだ竹川竹斎(1809-1882)など、松坂の歴史に輝く偉人たちも、皆、母の愛に育まれて大きくなりました。彼らの母の話を聞くと、その強さに驚かされます。

三井高利の母・殊法(これは法名で、俗名は伝わっていません)は、丹生の豪商・永井家(角屋)の娘で、武家出身の夫に替わって商いを切り回したといいます。厳しい女性で、徹底した倹約を実践し、廃物をリサイクルするアイデアにあふれ、落ちていたわらじさえ拾ったという逸話が残ります。一方で、顧客には愛想よく、サービスに務め、イメージ戦略をも考慮していました。それは高利が生み出した「現金販売」「布地の切り売り」「店名を書いた貸し傘」など、当時画期的といわれた三井家の商法のもととなる精神でした。この母無くして高利の成功はありませんでした。


長谷川治郎兵衛家の中庭(写真提供/松阪観光協会)

本居宣長の母・勝も、強くて賢い女性です。若くして夫を亡くし、限られた財産の中で、子どもたちを育て上げようと頑張りました。長男の宣長には、江戸店持ち商人であった小津家の復興を担ってほしかったのですが、宣長は商い嫌いの学問好き。母は、さまざまな逡巡の末、医者にしようと心を決め、息子を京に送り出しました。これはまさに英断でした。京にいる宣長に宛てた、「(大酒は)何れ身のがひ(害)」をなすもので、「さかづきに三つよりうへたべ申されまじく」と戒める母の手紙は有名です。吉田さんに伺った話では、息子には倹約を言い聞かせる勝ですが、自分のために、高価な化粧品を買ってくるよう命じるなど、お嬢様育ちの片鱗ものぞかせているとのことで、なんだかほっとするというか、親近感を覚えます。

もう一人、竹川竹斎の母・菅子は、伊勢の神職であり国学者でもあった荒木田久老(ひさおゆ)の娘でした。夫の政信は本居宣長の門人で、久老と宣長は友人。おそらく、菅子は政信と話の合う、教養のある女性だったのでしょう。そして優れた子どもたちを育てた母でした。長男の竹斎は、社会事業にも力を振るい、文庫を開き、国防について幕府の幹部と話し合うなど、多岐にわたって活躍しました。また、次男は竹口家(現・(株)ちくま味噌)へ、三男は国分家(現・国分グループ)へ養子に入り、ともに明治維新を乗り越えて商いを拡げ、兄と同じく文化人でもありました。三人の娘も商家に嫁いでいます。母の菅子について書かれたものを見たことはないのですが、一番下の娘、琴についての記録は残っています。琴は、津の豪商・川喜田石水に嫁ぎ(嫁いで政と改名)、息子が早世したため、自ら孫の川喜田半泥子を育てています。半泥子は、銀行の頭取でありながら、茶道や陶芸にも秀でた数寄者として有名です。半泥子が生涯ポケットに入れていたという政の遺訓には、「われをほむるものハあくまとおもうべし、我をそしるものハ善智識と思べし、只何事にも我れをわすれたるが第一也」という言葉が残されています。きっと菅子も、そうした厳しく大きな愛情を持った強い母だったのだろうと思うのです。

「カチっと松坂4」で吉田さんは、女性たちの力について触れておられます。おっしゃるように、公に出ることはあまりなかったのでしょうが、家庭内では、女性の、ことに母刀自の果たす役割は大きかったでしょう。偉人の背後には、強い母がいました。厳しさと優しさの両方を持って子に接することができた賢い母たちです。

ぼたん雪の舞う松阪は、〝母の恩〟を思わせます。春を待つ大地のように、厳しくも慈愛に満ちた母たちのおもかげが、このまちに宿っているからでしょうか。

ぷらっと松阪 不足案内2023.01.15

プロフィール

堀口 裕世

編集者 三重県の文化誌「伊勢人」編集部を経てフリーランスに
平成24年より神宮司庁の広報誌「瑞垣」等の編集に関わる
令和4年発行『伊勢の国魂を求めて旅した人々』(岡野弘彦著 人間社)他 編集