COLUMN

12,白秋は新米と機織りの音に

稔りの季節になりました。
春には小さくて弱々しかった早苗が、夏の陽射しと雨を受けてさやさやと風にそよぐ青田となり、秋にはたわわな稲穂が揺れます。気候の変動や品種改良などによって農作業の時期が変わり、昨今、稲刈りが早くなりましたが、豊かに稔った一面黄金色の風景が、人の心に安心や喜びを与えてくれることは変わりません。
秋は、真っ白な新米と共に食卓にやって来ます。
「カチっと松坂12 松阪自慢をする人は」で吉田悦之さんも書かれているように、松阪周辺の古代の地名は、「意須比飯高国(おすひ・いいたかのこおり)」。〝ご飯が高く盛られている所〟という意味ですから、昔から、美味しいお米がたくさん穫れる、稔りに恵まれた土地だったに違いありません。今年は猛暑に見舞われ、お米の出来が心配されていましたが、どうやらこの地方は平年並みの収穫量が望めそうです。

一年の基準はお米に

稔りの秋、伊勢の神宮では、十月十五日から二十五日にかけて、一年で最も重要なお祭である「神嘗祭(かんなめさい)」が行われます。稔りの喜びと感謝をこめて、新穀を神さまに捧げるのです。神宮では年間に大小千五百ものお祭が行われますが、風雨の順調をお祈りする「風日祈祭(かざひのみさい)」、田に種を蒔く「神田下種祭」、新穀を収穫する「抜穂祭(ぬいぼさい)」など、多くのお祭が米づくりの進行に深く関わり、また、それ以外のお祭の意義も、すべて神嘗祭に収斂しているそうです。毎年神嘗祭では、神饌を載せる案(机)や神職が座る敷物・舗設(ふせつ・茣蓙)などを新しくしますが、二十年に一度、社殿や御神宝・装束を新たにして神さまに御遷り頂く式年遷宮も、新たなお社で新穀をお供えする、〝大神嘗祭〟と考えられています。
稔と書いて「とし」とも読み、稲のことも「とし」といいます。お米が育つひとつのサイクルが「年」なのです。日本では、ひとの営みは稲作の周期を基準に繰り返されてきたのだと、改めて感じます。

白妙の神御衣は絹と麻

神宮では、この一回りの周期の中に、衣食住に関わるさまざまなお祭が行われるのですが、その「衣」の祭に、毎年春と秋(五月十四日と十月十四日)に行われる神御衣祭(かんみそさい)があります。昔ながらに織った和妙(にぎたえ・絹布)や荒妙(あらたえ・麻布)などをお供えすることから〝神さまの衣替え〟といわれていますが、神話に遡る深い意義があり、神嘗祭と並ぶ古い歴史を持つお祭で、「大宝令」にも記されているとのこと。皇大神宮とその第一別宮の荒祭宮だけで行われる謎の多いお祭でもあります。遠い遠い昔から、繰り返されてきた営みには、深い意味が籠められているのでしょう。その深い意味は分からなくても、季節が大きく移ろう頃、白い布を織って神さまに捧げる、ゆかしい心がしのばれます。
このお祭では、和妙、荒妙に添えて、針や糸などもお供えされます。これを使って、神さまがご自身で縫われるのでしょうか。神話では、天照大神は自ら農作業や機織りをされています。神さまが自ら働かれるという信仰は、日本が世界に誇ってよいことの一つに違いありません。

機殿神社でコトン・パタリ

神御衣祭でお供えする和妙、荒妙を織るのが、松阪市大垣内町にある神服部機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ・下機殿)と井口中町の神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ・上機殿)です。いずれの境内にも八尋殿(やひろどの)という建物があり、五月と十月の一日から、潔斎をした地元の人々によって、下機殿神社では和妙、上機殿神社では荒妙が織られます。
前月末日から五月と十月の十三日まで神職が参籠し、織り始める日には、布が清く美しく織り上がること祈って「神御衣奉織始祭」が、織り終わりの日には麗しく織り上がったことに感謝して「神御衣奉織鎮謝祭」が行われ、祈りをこめて機を織る日が続きます。年に二回、この時季だけ、静かな境内にコトン・パタリと優しい音が聞こえます。

神服部機殿神社 八尋殿で和妙を織る。
現在は、和妙(絹布)は女性が、荒妙(麻布)は男性が奉織している。
写真提供 神宮司庁広報室

織り上がった布は、現在は辛櫃に入れて自動車で運びますが、昭和四十年頃まで、神職たちが歩いて運んでいたそうです。そして、神御衣祭が行われ、内宮ご正宮(皇大神宮)と荒祭宮にお供えされるのです。
上・下機殿神社のご鎮座は、『倭姫命世記』によれば垂仁天皇二十六年に遡るとのことで、平安時代の初めには和妙・荒妙の奉織が行われていたと考えられていますが、詳しい歴史は分かっていません。もともと、この地域には古くから機織りの技術を持つ人々が住み、それぞれの祖神をお祀りしていたといわれます。その中で、定められた家の人だけが、神宮の神さまに捧げる布を、代々織り続けて来ました。江戸時代になると、この附近の家々で藍で染めた木綿を織るようになり、それが江戸で爆発的に流行し、松坂商人の商いの出発点となったのです。〝縞木綿は松坂の女業(おんなわざ)〟といわれました。稲刈りを終えたら、地元の女性たちは機織りに精をだしたことでしょう。
神御衣の奉織は、長い歴史の中でその伝統が途絶えた時代もあるそうで、歴史のすべてが詳らかではないのですが、途切れた糸を結び直すように、人々が紡いできた伝統は尊いものだと思います。

神服部機殿神社(下機殿) 手前の大きい建物が八尋殿
神服部機殿神社 遠景 秋には稲穂の海に浮かぶ島のように見える。
写真提供 神宮司庁広報室

新米を炊いたご飯は、真っ白でつややか。お米が豊富で美味しい土地に生まれて良かったと思います。
ひんやりし始めた秋の空気の中で、炊きたてのご飯を――〝いただきま~す!〟

一年間続きました「ぷらっと松阪 不足案内」ですが、ひとまず今回を最終回とし、しばらくお休みさせていただきます。
いずれまた、気持ち新たに始めたいと思っていますので、その節は、どうぞよろしくお願いいたします。

お読みいただきありがとうございました。

ぷらっと松阪 不足案内2023.09.15

プロフィール

堀口 裕世

編集者 三重県の文化誌「伊勢人」編集部を経てフリーランスに
平成24年より神宮司庁の広報誌「瑞垣」等の編集に関わる
令和4年発行『伊勢の国魂を求めて旅した人々』(岡野弘彦著 人間社)他 編集