COLUMN

13, 雪のあけぼの

あけましておめでとうございます。
一月もすでに半ばとなり、そんなご挨拶も少々時節遅れと感じるこの頃です。
一年余りお休みをいただいていましたが、新年からまた心新たに書きたいと思っています。松阪の好きなところやゆかりの場所をぷらっと訪ねたことなどを、知り合いの方に手紙でお知らせするような気持ちで書いてまいりたいと思っておりますので、どうぞお付き合いくださいませ。

年明けが「雪のあけぼの」だった、という所も各地にあるかと思います。真っ白な雪景色に朝日がさして、ほんのりとピンク色に染まる…美しい冬の朝の光景です。
津市垂水の石水博物館に「雪のあけぼの」があります。銀行の頭取であり、数奇者として、陶芸家としても知られる川喜田半泥子(1878-1963)の代表作の一つとされるお茶碗です。大振りでおおらかな形で、粉引きの白い肌の半身が火によってほんのりと淡い紅色に染まって、艶な風情と清潔感を併せ持ちながらも、作者の指の跡が残り、ろくろの勢いのままにできた口辺の“べべら”と呼ばれる破れを直さずにあるあたり、豪快とか破調などと呼ばれるような魅力も感じさせるのは半泥子ならでは、と思わせます。

「雪のあけぼの」川喜田半泥子作 千歳山窯 昭和10年代

もう一つの面影

「雪のあけぼの」といえば、もう一人、面影が浮かぶ男性がいます。といっても、会ったことはありません( ――半泥子にも会ったことはありませんが)。西園寺実兼(さねかね)(1249-1322)。鎌倉時代後期の公卿です。二条と呼ばれる後宮の女房(1258年- 不詳)が書いた『とはずかたり』に「雪のあけぼの」として登場するのはこの西園寺実兼だとされているのです。『とはずかたり』は、名門の貴族の家に生まれ、幼いころから御所で育った二条が、自らの数奇といえる運命を、創作を加えつつ書いた自伝とも日記とも物語ともいえる作品です。この中で、「雪のあけぼの」は初恋の相手として登場します。

雨に濡れる花

 二条が仕えた後深草院(1243‐1304)は、南北朝という皇統の分裂を招いた人であり、鎌倉幕府などの思惑も絡んで、政治は混沌から混乱へ入ろうとする不穏な情勢。かろうじて平安時代の輝きをとどめる貴族たちの暮らしは、表向きは華やかに、内実は退廃の腐臭が漂い、まさに危うい。そんな中でこの二条という女性、相当魅力的だったようで、14歳で奪われるように後深草院と初めての契りを結んだ後、かねてより思いを寄せていた雪のあけぼの以外にも、有明の月と呼ばれる高僧や、後深草院の弟であり政敵でもある亀山天皇、有力貴族の近衛の大殿など、当時のそうそうたる男性たちから、あるいは表立って、あるいはこっそり、次々と恋情を示されます。そして、いくらか倒錯的な傾向のある後深草院に後押しされるように、有明の月や大殿と関係を持ちます。後宮内でアイドルのように注目を浴びる存在であり、一方では女性たちの妬みを買い、男たちはさまざまな策略の道具に使おうとする。また、両親を早く亡くし、後深草院の寵愛のほかには強い後ろ盾のない不安定な立場にある二条に対し、「雪のあけぼの」はすべてを飲み込んで、つねに隠れた保護者のように手を差し伸べます。こっそり着物を贈ったり、内密の出産に駆け付けて世話を焼いたり、失踪すれば手を尽くして居場所を探し迎えに行く……。
その後、二条は出家し、尼となって西行のように日本の各地を訪ねては歌を詠みます。そして、『とはずかたり』書くのです。愛欲に翻弄され、雨に濡れる花のようだった女が、人として強く歩みだす。『とはずかたり』はそのような物語です。

艶なる恋人

この書物にはほとんど記述されていませんが、実兼は、幕府と朝廷の間を取り持ち調整する“関東申次”という難しい役職をこなしたり、のちには従一位・太政大臣に上るなど、政治力も十分に持ち合わせた男性のようですし、琵琶の名手でもあったとか。芝居なら必ず二枚目の役どころです。後朝(きぬぎぬ)の冬の朝、後姿を見送った女が、薄紅に染まった雪景色を見ながら切なく思い浮かべるのにふさわしい、艶なる恋人だったのでしょう。
というようなことから、「雪のあけぼの」のお茶碗に、実兼の面影を重ねたくなるのです。そう思ってお茶碗を見れば、口辺の切れ目だって、破綻さえ魅力と感じさせる男ぶりの良さに通じてくるというもの―― でしょう?

半泥子のたくらみ?

ところで、半泥子は『とはずかたり』の実兼のことを知ってこの銘をつけたでしょうか。というのも、この書物は、そのスキャンダラスともいえる内容から秘本として扱われていたそうで、宮内庁書陵部所蔵の桂宮家蔵書にあったものが唯一の写本だと聞いたからです。今では口語訳などもたくさん出ていて、お読みになった方も多いと思いますが、昭和15年(1940)に『國語と國文學』誌で紹介されるまで、その存在はほぼ知られていなかったというのです。
お茶碗の「雪のあけぼの」は、手元の図録には昭和10年代に制作されたとあります。『とはずかたり』が人々の耳目を集めたのと同じころ。きっと、半泥子は知っていたでしょう。ほかならぬ半泥子ですもの。そして、こうして作品と銘とを巡ってあれこれ思いを巡らせてしまうのは、半泥子の思惑にまんまと乗せられているような気もするのです。

石水博物館については、ほかにもお伝えしたいことがありますし、半泥子と松阪についても――。でも、すでに長くなりましたから、それはまたの機会といたしましょう。
29日には旧暦のお正月を迎えますが、寒さはこれから底をむかえます。どうぞ暖かくしておすごしください。

写真提供 石水博物館

石水博物館
〒514-0821 三重県津市垂水3032番地18
TEL 059-227-5677
https://sekisui-museum.or.jp/

ぷらっと松阪 不足案内2025.01.15

プロフィール

堀口 裕世

編集者 三重県の文化誌「伊勢人」編集部を経てフリーランスに
平成24年より神宮司庁の広報誌「瑞垣」等の編集に関わる
令和4年発行『伊勢の国魂を求めて旅した人々』(岡野弘彦著 人間社)他 編集